何もないゼロベースから考えれば、どっちの物件も快適極まりないと思うのだが、人の満足度は、ついつい相対的に計ってしまうので、客観的に考えられる時と、主観的に考えた場合、後者のほうが選択肢が狭くなって、チャレンジしにくくなる。
一歩踏み出してしまえば、それが日常になるので、何事もなかったように感覚はリセットされる可能性はあるのだけど、それでも後悔しないとは限らない。
ただ人間の選択など、大体、自分が対処できる選択しかできないものなので、強制的にブーストされたとか、外部の力でつい選んでしまった、ということがない限り、まぁまぁどうにかなる範囲に収まるものである。
外部要因に影響されて主体性なく選んだ場合は、後から人のせいにしてしまったりして後悔に繋がったりするので、それだけで選ぶのはオススメしない。多様な選択肢と捉えた上で、最後は自分で選ぶ、決断するというプロセスが絶対に必要である。
F’s Garage @fshin2000 :持つ者の失う恐怖と、持たないものの選択の自由
私は、人から「面白いね」、「楽しいね」と、褒められることだけが好きな狭量(きょうりょう)な人間です。しかし、この連載は皆さんの意見を反映しながら作り上げていく、いわば「ご意見、ご批判連動型コラム」というものなのだそうです(編集の方から教えてもらいました)。つまり、皆さんの意見を広くお伺いし、かみ砕き、反映していく必要があるのです。
そこで、提案です。「面白い」、「楽しい」、「愉快だ」、「もっと続けてくれ」という意見は、私個人に山ほど送ってください。そして「つまらん」、「不遜だ」、「ありふれている」、「さっさと止めろ」という、ご批判、苦情などは編集部にご連絡ください。編集部の皆さんは(現段階では)とても優しい方々とお見受け致しました。厳しいご批判や苦情の表現を、オブラートに包んで、優しく私に電話で伝えてくれる、と信じております。
「英語に愛されないエンジニア」のための新行動論(1):「海外で仕事をしたい」なんて一言も言っていない! (3/3) - EE Times Japan